今回は「湯布院(由布院)」温泉の観光と歴史を振り返っていきます。
今年だけで3回も訪れている「由布市」、この狭霧台から見る由布盆地の雲海は素晴らしいものがあります。
よく質問されますが、「湯布院」と「由布院」はどちらが正しいの? 確かにそうだと思います。
けっこう混乱されている方は多いみたいで、湯布院の話になると必ずこの質問が出てきますね。
昭和30年2月、由布院町と湯の平村が合併して、湯布院町になった事情が背景にあるので、今でも混乱すると思います。
現在は「由布市湯布院町」・「由布市湯平町」が正式な名称です。面積 319.32km2、総人口 33,394人 の山間の盆地に広がる自然豊かな温泉町です。
JR久大線の駅名は「由布院」、地元の人たちは由布岳があり、古来、由布(柚富)の里だったから、由布院温泉の場合は「由」を使い、市内にある「湯平温泉」・「塚原温泉」を含めた3つの温泉を総称する場合は、「湯布院」と決めています。
めんどくさいですよね。私もいまだに混乱しています。
まあ、あまり深く考えないで、総称して「湯布院温泉」でいいのではないでしょうか^^
「由布」の由来
さて、とは言いながらでも少し歴史の話に移っていきますが、由布の依頼については「豊後国風土記」(713年)の中に次ぎの記述があります。
柚富の郷、郡の西にあり、この郷の中に栲(たく)の樹さわに生いたり。常に栲の皮を採りて木綿(ゆふ)に造れり。因りて柚富の郷という
栲とは和紙をつくるコウゾという植物の古名で、韓国の民俗村に行くと、石台の上に栲を束ねて載せ、キネのような丸太でたたき、白い布や紙をこしらえている光景が1950年代までは見られていました。
また、「万葉集」の相聞歌(恋歌)にもこういう記述があります。
思ひいづる時は術(すべ)なみ豊国の木綿山(ゆふやま)雪の消ぬべく念(おも)ほゆ
「豊後国風土記」の中にも「柚富の峯の山頂に石室があって、夏も氷が融けないほどだ」とあります。
やはり、昔から由布院というところは、人々の目に留まる情緒豊かな場所だったのだろうと感じていますね。
やまなみハイウェイを別府市から城島高原を過ぎ、ひと山超えて狭霧台に立つと、かつては湖だったという由布盆地がいきなり開けます。
すり鉢の底のような盆地ですね。右手には由布岳がそびえ立ち、由布盆地のはるか前方には、九重の山並みが広がっています。
狭霧台から 湯布院の街に降りていくと幹線道路から左手に入り込んだすぐのところに、神秘の湖とも呼ばれている「金鱗湖」があります。
面積は0.8ヘクタール、周囲は約400m、湖底から温泉と清水が湧き出ているとともに、5つの河川が流入しており、その中には約30℃の温泉水が流れる河川もあります。
その温度差のために秋から冬にかけての早朝には湖面から霧が立ち上がる幻想的な光景が見られます。
しかしながら、九州とはいえ標高600mぐらいの盆地ですから、思いのほか寒いですよね。
確かにこの情景は、まるで水墨画を見ているようでもあり、四季を通じて一番素敵な風景が見られる時期です。
さて、「これって湖?」と思ってしまうほど小さな金鱗湖ですが、もちろん湖と池の定義は違います。
初めて訪れる方にはそう思われても仕方ないのかもしれませんね。
名前の由来は明治初期の儒学者(毛利空桑)が、湖で泳ぐ魚の鱗が夕陽で輝くのを見て金鱗湖と名付けたといわれています。
神話的要素で造られている由来は数多くありますが、どれもが神話の世界、現実的ではありません。
湯平温泉でもそうですが、現実には猿が温泉に浸かっていたところから発端を要します。
由布岳は盆地から見ると、万葉集にうたわれるように、「いよいよ高い」、というより、私には気高く見えます。
共同湯があったり、気の利いたお店がいくつも並び、気配りの行き届いた宿があったりもします。
古寺、由緒ある神社も多くあり、町おこしの優等生みたいなところがありますよ。
昔から宇佐や大宰府、あるいは竹田、臼杵と結ぶ道の宿として、外部のいい情報を取り入れてやがて独自の由布文化を形成していったのかもしれませんね。
現在の湯布院は本当に万人受けする街だと感じます。
風景、朝霧、湖、辻馬車、そして料理や温泉と美術館や博物館といった、すべての観光要素がつぎ込まれています。
そして映画祭、音楽祭、イベントも数多くあり、都会のいいところと田舎のいいところをブレンドした感性がおもしろいですね。
また、歓楽街を一切作っていないという点では本当素晴らしいと思うし、自然と融合させた由布盆地ならではの観光が楽しめるように、常に連携強化を図っているということが、由布院をここまで成長させたのでしょう。
由布院温泉の泉質 単純温泉ほか
効能 神経痛、筋肉痛、関節痛、冷え性、疲労回復など
湧出量 全国2位 毎分約42kl
(1位は隣の別府温泉です。別府温泉は世界で第2位!)
源泉数 全国2位。895箇所
(1位は隣の別府温泉です。世界第1位を誇ります!)
湯平温泉の由来
「湯平温泉郷士史」に載っている伝説にはこう書かれています。
昔杣人(そまびと)ここを通り過ぐるに白毛の老猿動くも疎き態にて、川端にて湯を呑み且つ湯を腹に掛け、横の大石に臥して日浴し、又且つ湯治す
と、老猿発見の話が記されています。
湯平温泉の開祖は、およそ800年前の鎌倉時代と言われています。
現在のような温泉街の骨格が出来上がったのが江戸後期で、湯平温泉の中央を流れる花合野川に沿って作られた坂道の石畳は、全国的にも有名ですが、今から約300年前の江戸時代に工藤三助という人を筆頭に村民によって作られたのがきっかけですね。
江戸時代に書かれた「豊後国志」にも記録が残っていることからも、当時から有名な温泉地だったことが分かります。
江戸時代には温泉湯治で訪れる客の多くは経済的な余裕のある富裕層や士分などの限られた人達ちでしたが、明治時代になり時代背景が変化していくと共に様々な制約が解かれ、大衆が利用できる湯治場として発展をしていきます。
その当時では医薬品なども普及しておらず、湯治が最高の療養方法とされていたこともあり、江戸時代初期から胃腸病に効くことが有名だった湯平温泉は次第に多くの湯治客が訪れる温泉地となっていきました。
それ以来、湯治場としての発展を続けてきた湯平温泉は、大正から昭和初期にかけて、さらに大きな温泉地として全国的に有名になっていく一時代を築き上げます。
明治期までは坂道に沿って茅葺きの湯治場が並んでいましたが、明治45年4月20月に起こった大火により、旅館や民家のほぼ全戸を焼失する大事件が起きます。
しかし、著名な温泉地としての需要があったため、火災直後より共同浴場や旅館、商店、発電所などの再建が行われ、火災から約2~3年程で以前よりも活気のある温泉街を取り戻した経緯があり、昭和になり、全国でも珍しい共同浴場の無料開放が行われ、多くの人がこの温泉を楽しみました。
戦前に療養型温泉として有名になってからは、別府温泉に次ぐ九州で第2位の入湯客を誇る温泉地として西の横綱に番付されたのもこの頃です。
また、昭和5年には俳人・種田山頭火が湯平温泉を訪れ宿泊した際に、「しぐるるや 人のなさけに 涙ぐむ」などのいくつかの名句を残しています。
現在も石畳通りの入り口と、湯平温泉街を見下ろす高台にある菊畑公園(湯平温泉街から徒歩で約30分)には、「種田山頭火句碑」が置かれ、この地を訪れる観光客の方々を見守っています。
その他にも、昭和57年(1982年)12月に公開された映画「男はつらいよ」シリーズ第30作目の「花も嵐も寅次郎」のロケ地にもなりました。
当時は寅さん役の渥美清さんをはじめ、沢田研二さんや田中裕子さんが湯平温泉を訪れ撮影が行われて、今でも映画の中で昭和の湯平温泉を見ることができます。
塚原温泉の由来
開湯は平安時代と言われていますが、定かではありません。
かつては3軒の温泉旅館が存在しましたが、現在は入浴施設が1つのみですね。
古くは豊後国速見郡に点在する別府十湯の一つでした。
大正時代の行政区画の変化により、別府十湯から外れて、同時に由布院温泉もはずれ、現在の別府八湯の形となり、近隣の温泉地帯でありながらでも、由布院独自の温泉文化が進んでいきます。
標高600メートル、由布岳の北側塚原高原は、青く澄んだ自然のカンバスに訪れた季節の色と香りが溢れています。
さわやかな風薫る春、深緑の眩しい夏、秋はススキが夕日にきらめき、冬には真っ白な雪が一面に広がります。
爽快感あふれる空気と開放感にみたされる景色に癒されながら、ゆったりとした時間に身を任せてもいいかもしれません。
由布院盆地とは違い、塚原地区は高原のような風景が広がる、草原地帯と思っていただければいいと思います。
由布、鶴見の連山の山麓に広がるなだらかな丘陵が連なる大草原の中には、古くから牧場が開かれ、大分県における畜産発祥の地でもあります。
雄大な土地を利用し、野草の地を立派な飼料畑に造りかえ、塚原牧場として牧歌的な風景を現在も見ることができます。
由布岳山麓の自然豊かな地で自家栽培の牧草を与え自給飼料にこだわり、丹誠込めて牛を育てています。
搾りたての牛乳や自家製アイスクリームは、新鮮な牛乳特有の濃厚な味わいが楽しめますよ。
さて、「塚原温泉」は、強い酸性度を示し、全国第2位の強酸性の泉質で、日本3大薬湯の一つとして知られています。
源泉で玉子をゆでると、3時間でカラが溶けてなくなるといいます。そのため、温泉玉子は伽藍岳火口の噴気で約20時間ゆっくりと蒸し上げ、温泉成分を充分にしみこませて作っているとのことです。
これだけ強い酸性の等張性温泉は類が無く、非常に貴重なものとされています。
由布市の観光
さて、由布市と湯布院町、めんどくさいですよね。
地元の方はかなりこだわりがあるみたいですが、もともとどちらが先かと言えば「由」の方であって、「湯」はあとでつけられたと考えればいいと思います。
歴史的観点から見ても「豊後国風土記」には「由」で示されているし、この漢字には大きな湖の意味も含まれているのですが、正直、温泉街としての湯布院ですから「湯」の方がひたしみやすいかなとも思いますね。
湯布院温泉の観光
湯布院のみどころといえば、近年パワースボットでも有名になった「金鱗湖」でしょう。それから続く「湯の坪街道」を見て歩くというのがベストだと思います。
湯布院についてはこのブログでも紹介しています。「金鱗湖」・「湯の坪街道」についても詳しく載せていますのでそちらの記事でお楽しみください。
湯平温泉の観光と立ち寄り湯
湯の平温泉の石畳800年もの歴史を持つ、湯平温泉の中央を流れる花合野川に沿って作られた坂道の石畳は、今から約300年前の江戸時代に工藤三助という人を筆頭に村民によって造られいます。
石畳の坂道が旅館街にしっとりとした情景を醸し出しているし、湯布院温泉とは違った独自の情緒を味わうことができますね。
●山頭火ミュージアム
昭和5年(1930年)に放浪の俳人・種田山頭火が湯平温泉を訪れて「しぐるるや 人のなさけに 涙ぐむ」と詠んだことにちなんだ美術館です。
作品とともに文机と筆が置かれ、訪れた観光客の方が旅の記念の句を残していけます。
ご来館いただいたお客様の作品集や由布高校書道部の作品なども展示しています。
毎年11月には「ゆのひらと山頭火展」も開催されます。
営業時間は10時~17時(年中無休・夏季は18時まで)
入館料は¥100円です。
●花合野川周辺
美しい自然の残る湯平温泉の中央を流れる花合野川周辺で数百匹のゲンジボタルが舞います。
私も一度見たことがありますが、ホタルが舞う花野川は、5月から6月にかけて、幻想的な光の世界が堪能できます。
毎年、5月下旬~6月上旬の20~21時が見頃ですね。
湯平温泉に泊まり、幻想的なホタルの世界を見ると心が本当に落ち着きます。是非一度見てくださいね。
●由布ゆのひら森林公園
湯平温泉場から久住・阿蘇方面へ向かう県道湯平温泉線の途中にある約19haの広大な自然公園です。
遊歩道や晴れた日には大分市まで眺望できる展望台など、自然に没頭できる場所でもあり、春には本当に桜がきれいでした。
●湯平温泉の立ち寄り湯(共同湯)
●中の湯
石畳の中ほどに位置する、浴場から、川と山がのぞめ景色のよい温泉ですね。
浴槽は一つのため、奇数日が女性・偶数日が男性専用の日替わりになっています。
●金の湯
以前は源泉に多量の土が混じっていたため、この名前が付いたみたいですが、現在では無色透明な温泉です。
●砂湯(中央温泉)
花野川流域にある共同湯で、以前花野川の氾濫で温泉に多量の砂が混じってしまったことからついた名前ですね。
●銀の湯
2006年にリニューアルされた共同湯で、足湯も併設されています。
●橋本温泉
最も麓にあり、最も湯船や洗い場が広い。浴槽が2つに区切られており入りやすい。料金は200円と格安ですが、シャンプーや石鹸は一切置いていません。
また、常駐する管理者もいないので、入口付近に祀られた地蔵の賽銭箱や入浴料入れに投入する方法です。釣銭は出ませんね。
湯平温泉にはこういった共同浴場がありますが、昔ながらの共同湯なので、露天風呂というのはありません。
また、各温泉には駐車場がないので、温泉街にあるいくつかの無料駐車場に止めて行くようになります。
湯平温泉立ち寄り湯、何といっても旅館「志美津」!
旅館「志美津」は宿泊も含めて非常に評価が高い温泉宿です。ちなみに旅行会社に問い合わせても湯平温泉の中ではオススメの宿ですね。
私も1度行きましたが何といっても名物の「洞窟風呂」、意外と中は広くゆっくりしていて気分が安らぎます。そして何とも幻想的な世界に引き込まれていくような感じですね。
また、露天風呂も素晴らしく、土日祝に訪ねても意外とお客さんは少なめ、こんなにいい温泉なのにどうしてお客さんが来ないのだろう、と思うぐらいゆっくりくつろげます。
旅館の方も親切で、「昔ながらの温泉宿」という情緒漂う素敵な温泉でした。ここはおススメの宿と温泉ですね。
湯布院町の旅館はすばらしい温泉宿が多くありますが、私なら湯平温泉に宿をとります。湯平の静かな温泉街の雰囲気がとてもよく、心が落ち着きます。
夜の温泉街の雰囲気がいいんですよね、とても情緒がある温泉郷です。
湯平温泉に行ったら是非立ち寄ってください。
●旅館 「志美津」 基本情報
住所 〒879-5112 大分県由布市湯布院町湯平263
TEL 0977-86-2111
営業時間 10時30分~14時30分(※混雑状況により、入浴営業時間短縮または延長あり)
定休日 不定休(平日週2日程度)
入浴料金 大人 500円 / 小人(3才~12才)300円
車で行く方が多いと思いますが、位置的には湯平温泉街の石畳を登り切った場所にあるのですが、この温泉街は非常に車幅が狭いことでも有名です。
この石畳みは通行できないとともに、車が通れない道路も多くあるので、事前に調べていくか、道に迷ったら電話をかけると親切に誘導してくれます。
塚原温泉の観光と立ち寄り湯「火口乃泉」
まずは火口見学です!
伽藍岳(がらんだけ)の標高は1,045mで、別名を硫黄山と言います。塚原温泉火口乃泉は西側の山腹に位置し、見学できる火口は標高約800メートルの中腹にあります。
塚原温泉は、酸性度の高さ、アルミニウムイオンの多さは日本第二位、鉄イオン含有量の多さは、日本第一位です。
日本3大薬湯の一つとして、全国に知られています。
塚原温泉の源泉は、標高約800メートル、噴気が立ち昇る伽藍岳(がらんだけ)1045メートルの中腹にあり、平安の頃より湧き続ける温度約60℃、pH(ペーハー)約1.4、の強酸性の湯です。
当塚原温泉では、源泉より湧く温泉水に循環・ろ過・沸かし・加水などは一切せずに、自噴かけ流しの湯で入浴できる温泉です。
湯場から歩いて約5分。間近に、もくもくと蒸気が湧き上がる地獄を見ることができます。
火口前の広場からは、彼方にひろがる雄大な塚原高原の景色を望めます。
実は、この伽藍岳(がらんだけ)が別府温泉すべての源泉になっているといわれているんですね。
ご希望の方は受付までお申込みください。大人200円 / 小人(小学生)100円
●由布院の隠し湯、源泉かけ流しの薬湯【火口乃泉】
※施設の案内
大浴場(男女別)大人500円 / 小人200円(ご利用時間は2時間以内です)
家族風呂(4部屋)2000円(1時間以内・大人2人、小人2人まで)人数追加・・・大人一名に付き500円増し / 小人一名に付き300円増し
露天風呂(男女別)大人600円 / 小人200円(ご利用時間は2時間以内です)
大分県由布市湯布院町塚原1235
湯に浸かってみるとわかりますが、強酸性の湯は若干ですがピリピリ感があり、体の奥までぬくもりが伝わる感覚です。また、酸が強いため貴金属は身に着けて入らない方がいいですね。
石鹸も使えません。これも酸が強すぎてアルカリ性の石鹸は中和されて泡もたたないとのことです。
この「塚原温泉」は湯布院温泉の一部ですが、由布院、湯平とはまったく異なった性格の温泉です。
昔は別府十湯の中に入っていた温泉ですが、別府ともまったく異なります。是非、強酸性の湯を体験してみてください。
湯布院温泉旅行、観光と立ち寄り湯のまとめ
この湯布院は温泉に特化した地域だけに、伝説や歴史が多く残っています。
紐解いていけば切りがないのですが、少し歴史を知ったうえで温泉旅行するのもいいですよ。
また、立ち寄り湯は由布市全体で多くありますが、湯布院町内の旅館や共同湯よりも、めったに味わえない塚原温泉や湯平温泉に浸かってみてはいかがでしょう。
さて、最後に由布市のPR観光動画を載せておきます。
タイトルは「An Invitation to Yufu」、由布市全体の四季を通じての自然美、また、各温泉スポット、食文化、歴史文化についての紹介がされています。
この動画を見れば、写真や言葉で伝えきれなかった由布の良さが、少しは分かるのではないでしょうか。
よかったらご覧ください。
また、ご機会があればお寄りいただければ幸いです。今日は最後までお読みいただきありがとうございました。
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