今回は、北九州市若松区に位置する「高塔山公園」のことについて記していきますね。
ここは自分が日常的に訪れているところでもあり、自然が豊かで景色もよく、心の癒しにしている場所です。
北九州市が「日本新三大夜景」にも選ばれた経緯もあり、夜景スポットとして新たに人気が出始めています。
元祖、北九州の夜景、といっておきますね。昔よく言われていた「100万ドルの夜景」ですよ。
若戸大橋を中心に洞海湾に広がる工業地帯の夜景は、昭和の中期から絶大な人気があり、皿倉山から見る夜景とは一味違った風景が堪能できます。
高塔山公園までのアクセス

高塔山公園展望台からの景色
現在では、イベントやコンサートがない限りはひっそりとたたずむ緑豊かな公園です。
私も幼いころから訪れていたこともあり、とても愛着がありますが、今では市民の憩いの場として使われており、何も考えずにゆっくり過ごす場所としてはいいところです。
アクセスは車か徒歩のどちらかですが、標高120m位の山といっても頂上に続く道路はけっこう急勾配が続きます。
若松駅から徒歩30分とよく書かれていますが、絶対に無理です。最低でも40分~45分、高齢者であれば1時間は絶対にかかるので、足に自信のある方は別として無理はしない方が無難です。
地元の方は散歩やハイキング等で登っていますが、けっこう辛いものがあります。公共交通機関が通っていないので車で行くのがベストでしょう。

高塔山公園第1駐車場
公園内の駐車場は広く、第1・第2・第3と別れておりすべて合わせると150台ぐらいは止められますね。年に何回か開催するイベントやコンサート時には多くの観光客が集まるので駐車場を整備しているのでしょう。
また、駐車料金は無料、24時間いつでも自由に止められます。公園も閉鎖するということはないのでいつ行かれても自由に行動ができます。
基本的に頂上までのルートは3通りほどありますが、メインである若戸大橋側からが一番わかりや行く便利です。
他に響方面(東畑町)から登っていくルートもありますが、看板などは一切出ていないので、土地勘のない方だったら間違いなく迷います。
さて、少し高塔山公園の歴史を紹介しておきます。
高塔山の歴史
古くからある「高塔山公園」、ただ私も含めて地元の方は「高塔山公園」とは言わないと思います。
昔から「高塔山」という名前で親しまれてきたからです。逆に「公園」をつけると違う場所のことを言っているのかのように聞こえてしまいます。
高塔山公園は、標高124mの高塔山の山頂にある公園です。
中世には大庭隠岐守景種(おおばおきのかみかげたね)が築いた山城があったと伝えられていますが、探す限りではその跡はどこにも見当りませんね。
展望台からの眺望は素晴らしく、若戸大橋・皿倉山・響灘そして関門海峡までも望むことができ、夜景スポットとしても昔から有名でした。
昭和の時代は、100万ドルの夜景として一世を風靡していましたね。
現在の「日本新三大夜景」に選ばれた時は、なぜか1000万ドルになっていましたが、なんでも値段の価値をあげればいいというものではないと思います。
さて、この北九州市若松区は、かつて筑豊炭田の石炭積み出し基地として、日本一の石炭貨物扱い量を誇った街です。
石炭は明治維新以降、国内工業の主力エネルギーで、昭和20年(1945年)の太平洋戦争終結後も、戦後復興と朝鮮戦争の特需景気による、重化学工業の拡張に石炭生産が追い付かずに、さらなる増産が求められていた時期でした。
当時、石炭は「黒いダイヤ」とも呼ばれていたことはご存知と思いますが、国内有数の港湾都市として隆盛を極めていた1950年代の若松には、雇用と繁栄を求めて全国から人々が集り、街は空前の活気に満ちていたと聞きます。
しかし、1953年をピークに、海外からの輸入炭の増加や値引き競争などにより低迷をはじめ、1957年頃から国内でも徐々に石炭から石油へのエネルギー転換がはじまり、石炭需要には再び下降の兆しが現れはじめました。
背後に筑豊炭田を抱えていましたが、このころから炭鉱も需要減少と共に減産に追い込まれ、また炭鉱事故も続発し、次々と閉鎖に追い込まれていきます。
昭和50年代までは若松区の中心街に「丸柏(まるかし)」という名前のデパートもあり、それから続く銀天街も活気があり、日曜日ともなれば多くの人でにぎわっていました。
高塔山公園展望台から見た、「若戸大橋」、昭和37年9月に開通しました。
通称「レッドブリッジ」と呼ばれている若戸大橋、当時は「東洋一の吊り橋」として有名になり全国から観光客を集めました。
その当時、若戸大橋の完成を記念して2カ月間ほど「若戸博」というのが開かれて、全国から100万人以上もの人が来場したと聞いてます。
小学校時代、この高塔山公園には小規模ですが遊園地があったんですよね。
多分、60歳以上の方なら記憶にあると思います。
そして若松の街からも、当時、西鉄グランドホテルの敷地内から高塔山山頂まで、ロープウェイが通っていました。
博覧会は生まれていないので記憶にありませんが、その遊園地で何度が遊んだ記憶があります。
昔はここから、エレベーターで橋の上まで昇り、橋脚区間は歩いて渡れていたんですよ。
今は歩道は撤去され、歩くことはできませんが、当時片側一車線だった車道も今は二車線化されています。
景色もよく、高塔山から見る景色とはまったく違う360度のパノラマビューが楽しめました。できたらもう一度歩道を整備してほしいですね。
緑豊かな高塔山公園
さて、高塔山公園内にある展望台付近は、きれいに整備されて公園化していますが、当時は今みたいに整備されていませんでした。
しかし当時の展望台の中には、お土産さんや食堂があり大盛況だったことを思い出します。
現在の「高塔山公園」は、自然公園の位置づけです。
ハイキングやウォーキングをする人も多い。敷地内は緑も多くきれいに公園化されています。

高塔山公園
展望台の下には芝生で覆い詰めた大きな広場もあり、小さな子どもを遊ばせるのには最適です。駐車場やトイレも完備されており、困ることはないでしょう。
音楽堂、往年のスターたちが一度は立ったステージ
昔からある音楽堂は健在ですね。ここは私たち年代の人にとっては聖地ですよ。
私もこのステージに2度立ちました。
いまは年に一度行われている「高塔山ロックフェス」、今年も9月におこなわれました。
若松出身のシーナ & ロケッツ率いる「鮎川誠」氏をはじめ、そうそうたるメンバーで大盛況でありました。
この「高塔山ロックフェス」の実行委員会プロデューサーの倉掛氏とは知り合いです。
というか、もう実際には40年近くあっていませんが、当時、倉掛氏は兄弟で「ニュードブ」というバンドで活躍していました。
その当時の北九州はアマチュアバンドの全盛期でもありました。
「バラ族」・「ニュードブ」・「せみしぐれ」・「飛べない飛行船」等、数多くのバンドが犇めいていました。
「エルモーションロック」や「ヤマハ・ポプコン」などコンテストも多く開催され、みんなプロへの夢を描いていた良き時代でもありました。
「ガッツの会」をはじめ有志の活動団体も多く、まさにアマチュアバンド全盛期時代であったのではないでしょうか。
今でもこうやって頑張っている姿を見ると力が湧いてきますね。
あじさい祭りとたいまつ行列
少し話がそれましたが、毎年6月には「あじさい祭り」も開催されます。
週末ともなればお客さんも多く来園し、駐車場も満車状態が続ます。公園一円に咲くあじさいは圧巻ですよ。
7月になると伝統行事でもある「たいまつ行列」が毎年行われます。
正式には「火まつり」というみたいですが、地元の方は「たいまつ行列」の呼び名の方が馴染んでいると思います。
若松地区の子供会を中心とする約2000人の人たちが、たいまつを手に持ち、高塔山山頂を目指して歩きます。
実は私も経験者ですね。小学校の頃は毎年参加していました。最後にもらうお菓子ほしさからですが・・・・。
街から見るこの行列は幻想的です。たいまつの灯りの帯が若松の街から高塔山まで永遠と続く姿はまさに圧巻ですよ。
伝説の河童封じ地蔵と火野葦平
展望台前の広場には「河童封じ地蔵」があります。
堂内に入り、壁を背にしてある地蔵の横からその隙間を覗くと、背中の部分に金属の突起が見えます。これが河童を封じるために打ち込まれた大釘です。
高塔山のある周辺は、修多羅と呼ばれる村でしたが、昔その近くの池で一匹の河童が馬を引きずり込もうとしました。
ところが逆に馬に引きずられてしまい、とうとう庄屋に捕まえられてしまいます。
そこで河童は「二度と悪さはしない」と命乞いをしたため、庄屋は地蔵の背中に舟釘を打ち込んで、この釘がある限り決して悪さをしないと誓わせたという。
この河童の悪さを封じたという伝承をモチーフとして、若松出身の作家・火野葦平が『石と釘』という短編を執筆し一躍有名なりました。
中まで入れるので地蔵の背中を見てくださいね。このように杭が刺さっています。
他にも園内には万葉植物園や火野葦平の石碑などあり、散策をしながら自然を味わうこともできます。
公園から500メーターぐらい離れた場所に、白い円形の形をした「仏舎利塔」がありますが、今は見学はできないですね。
入口まで行ったのですが閉鎖されていました。昔はこの建物の中まで入れたのですが・・・・・。
高塔山公園展望台、歴史ある夜景スポット
上記にも記したように、100万ドルの夜景です。
洞海湾をはさみ、北九州工業地帯の工場群のイルミネーションも増えて、中々の絶景です。
「日本新三大夜景北九州」の夜景スポットのひとつとして、にわかに脚光を浴びています。
これが、展望台から見た皿倉山方面の夜景ですね。
写真じゃわかりずらいかもしれませんが、皿倉山山頂に小さく「恋人の聖地、天空ドーム」が見えます。
洞海湾沿いに広がる若松のイルミネーション
また、若松区の南海岸では例年以上にイルミネーションを施しています。今年は少しパワーアップしてますね。2019年1月31日までです。
高塔山公園展望台からの日の出
しかし、夜景ばかりがクローズアップされていますが、日の出も絶景ですよ。
特に夏場の展望台は朝の4時ぐらいから写真を撮る方や景色を眺める方でにぎわいます。
夜景もすばらしいですが、「工業地帯の夜明け」と題して日の出のスポットとしても人気がでています。
この展望台から見る響灘の景色は、海岸線から見る景色とはまた一味違った色を醸し出しますね。
まとめ、高塔山公園の夜景、洞海湾に広がる光の舞
最後に北九州市のPR観光動画のバナーを貼っておきます。
ドローンによる若戸大橋周辺を中心に作成されたPR動画ですが、肝心な高塔山からの夜景が最後に少しだけあるだけで、正直、あまりいい出来栄えではないのかなと感じています。
夜景は、私がスマホで撮った写真のほうが、いいのかなと思うし、日の出の動画や皿倉山方面を映した動画も入っていませんね。
少し残念ですが、よかったら見てください。
北九州市若松区修多羅に位置する「高塔山自然公園」、昭和の時代には一世を風靡した観光スポットでした。
今はイベントやお祭りがない時には、ひっそりとたたずむ静かな公園です。
「日本新三大夜景」に選ばれたこともあり、数々の雑誌で取り上げられて、再び「夜景スポット」として人気が出てきてています。
これから先、自然景観型公園を目指すのであれば、それでもいいと思います。
人々の憩いの場で維持できれば最高ではないでしょうか。
これからも、夜景・日の出・あじさい・たいまつ行列・ロックフェスと地元主導で、「高塔山公園」を盛り上げてほしい。そんな気持ちです。
※日本の歴史・温泉開湯ヒストリー・生活・政治経済のサイトも見てくださいね!
コメント